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最高裁判所第一小法廷 昭和54年(行ツ)109号 判決

上告人

甲野春子

右訴訟代理人

安西義明

被上告人

農林漁業団体職員共済組合

右代表者理事長

吉田和雄

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人安西義明の上告理由第一点について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、違憲をいう部分を含め、独自の見解に立つて原審の法令の解釈の不当をいうものであつて、採用することができない。

同第二点について

農林漁業団体職員共済組合法(昭和三九年法律第一一二号による改正後、昭和四六年法律第八五号による改正前のもの。以下「本件共済組合法」という。)二四条一項の定める配偶者の概念は、必ずしも民法上の配偶者の概念と同一のものとみなければならないものではなく、本件共済組合法の有する社会保障法的理念ないし目的に照らし、これに適合した解釈をほどこす余地があると解されること、また、一般に共済組合は同一の事業に従事する者の強制加入によつて設立される相互扶助団体であり、組合が給付する遺族給付は、組合員又は組合員であつた者(以下「組合員等」という。)が死亡した場合に家族の生活を保障する目的で給付されるものであつて、これにより遺族の生活の安定と福祉の向上を図り、ひいて業務の能率的運営に資することを目的とする社会保障的性格を有する公的給付であることなどを勘案すると、右遺族の範囲は組合員等の実態に即し、現実的な観点から理解すべきであつて、遺族に属する配偶者についても、組合員等との関係において、互いに協力して社会通念上夫婦としての共同生活を現実に営んでいた者をいうものと解するのが相当であり、戸籍上届出のある配偶者であつても、その婚姻関係が実体を失つて形骸化し、かつ、その状態が固定化して近い将来解消される見込のないとき、すなわち、事実上の離婚状態にある場合には、もはや右遺族給付を受けるべき配偶者に該当しないものというべきである。

これを本件についてみるのに、原審が認定した本件の事実関係は、次のとおりである。(1) 上告人は、昭和五年九月四日当時警視庁巡査の職にあつた甲野太郎(以下「太郎」という。)と結婚(同日婚姻届出)し、子供四人をもうけたが、昭和二七年五月頃から太郎が乙田秋子と親密な関係を結び、家庭を顧みなくなつた結果、夫婦の仲が険悪となり、上告人と太郎は昭和二八年七月一三日に協約書(乙第四号証の一二)を取りかわし、太郎は上告人のもとを去り乙田秋子と同棲するに至つた。(2) 右協約書は、上告人ら夫婦間において愛情の破綻を来したので、太郎は家庭を出て単独別居し、今後、双方とも相手方の生活に一切容喙しないこと、子供達は上告人が引き取り養育するので、太郎は養育料を上告人に支払い、太郎が受給資格を有する警察恩給を上告人に分与すること、戸籍上の地位は現在のまま持続し両名の生活上の所持品は持分により区分すること、などの条件により別居生活をすることを協議決定したものであつた。(3) その後、上告人は昭和二八年九月一〇日離婚調停の申立てをし、同年一二月不調となつたが、その頃、太郎は上告人のもとへ帰り、再び、上告人及び子供達と同居するようになり、昭和二九年八月に府中市貫井の都営住宅に家族全員で引越したが、この間も太郎と上告人との間に夫婦の性関係はなく、太郎は家庭内では孤立し、外泊することがたびたびであつた。(4) その後、太郎は昭和三一年六月頃当時熱海市に住んでいた丙川夏子(以下「丙川」という。)と知り合い、親密になつた。そして、同年一一月二一日頃再度家を出ることを決意した。その際、太郎の兄某及び上告人の弟某両名が間に入つて説得を重ねたが、結局、太郎の家を出る決意は固く、上告人と太郎は「いずれ別れよう」「そうしよう」という趣旨の応酬を重ね、到底同居の見込がなかつたので、別居の前提として、末子M子が一八歳になるまでの太郎による養育料の支給等が協議された。その後、太郎は府中市の家を出て、都内文京区西片町の某方に身を寄せ、同月二八日妻との性生活の長年にわたる欠如、家庭内の不和、虐待等を理由に離婚を希望する旨の「離婚に関する調停の御願い」と題する書面(乙第四号証の二四)を作成したが、その翌々日に当たる同月三〇日自己の警察恩給を同日以降昭和三九年一一月三〇日まで上告人が直接受領することを承諾する旨の承諾書(乙第五号証の二)を作成して上告人に交付した。そして、その頃、子供が一八歳になるまで養育料の仕送りをすることを約した。やがて、太郎は丙川と同棲を始め、死亡する昭和四三年八月四日に至るまで丙川とその連れ子であるN夫、K子と共に生活し、その間、一度も上告人のもとに帰り宿泊することはなかつた。(5) 丙川と同棲を始めた後、太郎は上告人との前記約束に基づいて、養育料の仕送りを続けたほか、警察恩給は昭和三一年一一月以降上告人に全額受領させており、また、昭和四三年八月四日の太郎の死亡後は右恩給はなくなり、その約五分の三に当たる額が上告人に対する扶助料として現在も引き続き支給されている。なお、上告人及びその子供達(R夫、M子)は、昭和三五年八月一七日付をもつて太郎の健康保険の被扶養者及び税法上の扶養親族から削除され、代つて丙川とその連れ子であるN夫、K子が同年一二月一四日付をもつてその対象となつている。(6) 丙川は昭和三二年頃から太郎と熱海市で同棲生活を始め、約二年後の昭和三四年夏三鷹市に、次いで昭和三九年一一月立川市にそれぞれ移り住んだが、その間丙川は太郎の上告人に対する前記送金を助けるため内職、派出婦等をして共に働き、二人協力して前記送金をしていた。また、前記のとおり、太郎の勤務先の健康保険や税法上の扶養親族の関係ではそれぞれ妻として取り扱われていた。昭和三九年二月頃、太郎は丙川を静岡県袋井市の自己の郷里に伴い、実母や親戚に対し、同人を新しい妻であるとして紹介した。また、昭和四〇年七月五日太郎が上告人との間に偽造の離婚届を提出した後には、丙川及び子供達と太郎との間に婚姻及び養子縁組の届出がされている。太郎の葬式は丙川側で行われ、遺骨も丙川によつて手厚く葬られた。(7) 上告人は、昭和三一年一一月二二日頃太郎と別居して以来、その子供達と生活を共にし、太郎に対し毎月の仕送りを求める等の経済的要求を行つてはいるものの、丙川との関係を清算して再び正常な婚姻関係に復させるべく何らの働きかけもしていないばかりか、太郎の勤務先の上司であつた某が昭和三七、八年頃上告人に対し、太郎を引き取り同居して旧に復してはどうかとの助言をしたが言を左右にしてこれに応ぜず、結果的にはこれを断つており、また、上告人は昭和一五年太郎から性病を感染させられてから再三発病していたところ、昭和二六年頃再発した際、医師から今後発病したらもはや治療の方法がないと言われ、太郎との別居をすすめられて以来、太郎の申出を拒否し、上告人と太郎との性関係は昭和二六年頃から全くなかつた。

原審は、以上の事実関係に基づき、(1) 上告人と太郎は、事実上婚姻関係を解消することを合意したうえ別居を繰り返しており、(2) 太郎の上告人に対する前記経済的給付はいずれも事実上の離婚給付としての性格を有していたとみられ、(3) 更に、上告人としては昭和三一年一二月の別居以後は共同生活を伴う婚姻関係を維持継続しようとする意思がなかつたと認められる旨を認定したうえ、これらを総合すると、上告人と太郎との間の婚姻関係は、昭和三一年一二月以降は事実上の離婚状態にあつたものといわざるをえず、太郎が死亡した昭和四三年八月四日頃にはその婚姻関係は実体が失われて形骸化し、かつ、その状態が固定化していたものというべきである旨判断している。

原審の以上の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして正当として是認することができ、その過程に所論の違法があるとすることはできない。そうすると、上告人は本体共済組合法二四条一項にいう遺族給付を受けることのできる配偶者には該当しないものと解するのが相当であり、これと趣旨を同じくする原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(和田誠一 団藤重光 藤﨑萬里 中村治朗 谷口正孝)

上告代理人安西義明の上告理由

第一点 〈省略〉

第二点 一審判決及び原判決には、経験則違反採証法則違反、審理不尽の違法がある。

一、1 本件に関する外形的事実の要旨は大よそ次の通りである。

甲野太郎がかねて女狂いが絶えず、中国から引上げて来た後も、女性との交際が多く身持の定まらない男であり、昭和二七年頃には乙田秋子と交渉があり、遂には自分の荷物を運び出し乙田と同棲し、その後二八年暮再び家に戻つて来た。

2 その間の昭和二八年七月頃協定書(乙四の一二)が作成されているが、この書面は前記乙田の関連で作成され、太郎が家を省みず遊び歩いていることから上告人春子が生活に困りよつて作成されたものである。

春子としては当時生活が苦しく金が欲しかつたということもあつてAが持参した右協定書に押印した。しかし太郎は右協定書に書いてある養育費六千円(名目は養育費であるが春子の生活費を含んでいることは当然である)の支払をせず、又昭和二八年一二月末、太郎が自宅に戻つたことにより右協定書は事実上破棄されたものである。

3 一審判決三二枚目の認定によれば、太郎はその後昭和三一年六月頃丙川夏子と親密となり(もつとも乙四号証の一四によるとそれ以前から交際があつた様である)、やがて三一年一一月家族の反対を押切つて、太郎は丙川の許に去つた。その折承諾書(乙五の二)が作成され且つ末娘が一八才になる迄養育料を支給することが約束された。

4 その後太郎は右養育費の他上告人春子の求めに応じ若干の生活費を支給していたが家に戻らず昭和四三年八月死亡するに至つたものである。

二、以上の事実関係に基き一・二審判決は(1)昭和二八年七月前記協定書(乙四の一二)を作成した折「婚姻関係を解消することを合意した」ものであり、(一審判決三六枚目裏)、昭和三一年一一月太郎が家出した折も右と同様の合意が成立していたものと推認されること(一審判決三七枚目裏)(2)太郎の上告人に対する経済的給付は離婚給付としての性格を有していること(一審判決三七枚目裏)、(3)上告人春子は婚姻関係を正常なものに回復しようとする働かけをしていなかつたこと(同三八枚目)(4)上告人春子が昭和二六年以来性病の再発をおそれ性生活を拒否していたこと(二審判決三枚目表、四枚目表)等から「婚姻関係は実体が失われて形骸化し、その状態が固定化していたものというべきである」(一審判決三八枚目裏)としているのである。しかし右認定には採証法則、経験法則の違反があり又審理不尽がある。

三、1 一・二審判決は「別居の合意、養育費の支給の約束」等を以つて「婚姻関係を解消する意思あり」としているが、昭和三一年一一月、太郎が家出をした折は、合意によつて別居したというものではない。太郎がどうしても家を出て女の許に行くということで家人の言うことも聞かず、又周囲の人々がいさめても聞き入れないことから、やむなく太郎の好むままに任せたというだけであり、婚姻関係解消につながる「別居の合意」とまで言いうるものではない。妻としては、いくら注意しても改めてくれない夫に対しどうしようもなく、夫の好きに任せただけのことである。(省略)そして子供らの生活はどうなるのかということから養育費等の話となり承諾書が作られたに過ぎないのである。即ち家を明ける夫に対し養育費を主張しただけであつて、之らを以つて「別居の合意」「離婚給付」とみるのは正に経験則、採証法則違反と云わねばならない。

2 元来昭和二八年七月の折の協定書の押印にしても太郎側で作成し、押印を求められ春子はやむなく之に押印したに過ぎず、之を以つて直ちに婚姻解消の合意ありとすることも、あまりに苛酷である。横暴な夫から強く押印を求められ、子供をかかえその日の糧に困つている妻が押印すれば金がもらえるので、押印したこと(春子供述調書九九項)を以つて、直ちに婚姻関係解消の合意ありとすることは、人間の本当の姿や夫婦の実体を知らない皮相の観と云わねばならない。もしそれ程明確な離婚の合意があるものならばその年昭和二八年一二月再び太郎が家に戻つて来たことについて春子らが何らの抵抗をも示していないことをどう解釈すべきなのであろうか。夫婦の間柄というものは、しかく杓子定規的なものではないのである。更に昭和三一年一一月甲野太郎が家を出ようとしたことから、春子及び子供らが父の家出を阻止し、その為一時縛る等の行為があつたが之は、太郎に家を出てもらいたくないという考えが上告人春子らにあつたこと、従つて離婚を欲しないことを示す有力な証拠である。

3 更に一審判決が引用する「乙四の二四」が昭和三一年一一月二八日作成され(三一丁裏)、その表題は「離婚に関する調停の御願い」とあることからしても明らかである。

即ち一審判決は昭和三一年一一月二二日(この日太郎は家を飛出し以後丙川方にいたのである)、太郎が家を出る時「前と同様の合意」即ち離婚の合意が成立した、となしているが、もしそうならば、太郎があえて一一月二二日の直後の一一月二八日に、離婚を求める調停を申立てることを考える必要もなければ、「公平な裁判(調停)」(乙四の二四の冒頭部分参照)を求めることも必要ない筈である。この書面の存することは「離婚の合意」のなかつた明白な証拠である。

又この話の折生活必需品である寝具を渡していないこと(六一二丁)からしても婚姻解消の意思のないことは明らかである。尚この二回目の話の折、Aは全く関係していないのであり一審判決において同人の証言を引用することは全く誤りである。

4 又判決は本件養育費、生活費を以つて「離婚給付」となしているが、離婚給付ならば額が定められるのが通常であろう。又その後春子が太郎に対し種々の給付(昭和五〇年八月四日付原告第五準備書面八枚目記載の洋服代、結婚の折の金、ボーナスの折の支給等)を要求し、それが支給されておることをみても前記養育費等が「婚姻解消の為の離婚給付」と解することはあまりに苛酷であり、常識に反するところである。

四、1 更に「婚姻解消の合意」とは戸籍上の婚姻の消滅を含むものであることが一般である。「戸籍だけは残しておくが婚姻は解消する」というが如き合意は、「婚姻解消の合意」とは云い難いのである。蓋し一般に婚姻を解消する場合、戸籍をそのままにする実益はなく従つて当然戸籍上も離婚の手続をとることを約するのが一般であるし、それが当然である。

もし戸籍上離婚の手続をとることを約束しなかつた場合には、そこには何らかの事情によつて「婚姻関係解消の合意がなかつた」とみるのが一般であり、常識であり、法的感覚である。

しかるに一・二審判決は「戸籍はのこしておくが婚姻は解消するという合意があつた」とする極めて不合理な認定をなしているのである。

本件の場合二審判決(四枚目裏)は「警視庁から支給されていた恩給の支給に支障を来たしたり、子女の結婚等に悪影響を及ぼしかねないことをおそれ」となしているが、(かかる証拠は本件記録上明白ではない)、仮にそうであるとするならば、それは正しく「離婚を承知しないこと」であり「婚姻関係を解消する意思のない」ことを明らかにするものである。「子女の結婚に影響があるから離婚は承知できない」というのは、極常識的である。その場合夫が勝手に家をあけており、妻としてなす術もなく、そのままにしていたという事実とを結び合せて之を「婚姻解消の合意」とすることは正に採証法則、経験則違反といわねばならないのである。

2 もし判決のいう通りなら、上告人春子と甲野太郎の戸籍上の婚姻は実質無効のものというべく、すると甲野太郎と丙川夏子の婚姻を重婚とする必要はないことになるのである。即ち判決は「婚姻解消の合意」があつたとしている以上、太郎、春子の婚姻は無効のものというべく、さすれば別件で太郎、丙川夏子の婚姻を重婚とした判決は誤りということになるのである。(この意味で本判決は別件の「甲野太郎、丙川夏子間の婚姻を重婚により無効とした判決」と相反する判断をしたことになる)。かかる複雑な関係をつくり上げることは法の予定しないところであり、従つて本件一・二審の判決は経験則、採証法則違反といわざるを得ないのである。

3 もつとも右の様に、分けて考える解釈は、共済組合法における遺族給付の性格から、やむをえないとする考え方もあるかもしれない。

しかし本件の場合太郎が生きておれば上告人春子は生活費の支給等を求めることができ、時には訴訟によつてその支払を受けることも可能であつたのである。しかし夫が死亡したことにより、それ迄多少なりうけていた、又将来うけられたであろう生活費が「公正であるべき法」によつて全く失われてしまうことになり、かくては共済組合法の精神も失われることになるのである。従つて組合法の趣旨や性格からだといつて、あえて奇妙な解釈をなすことも妥当でないのである。

五、1 更に一審判決は上告人春子が「丙川との関係を清算し再び正常な婚姻関係に復させるべく何らの働きかけをしていない」(三三丁裏)というがそれ迄も何回も太郎は家を飛出し、しばらくして女にすてられるか、又は女にあきると家にもどつてくるということが、くり返えされており、又太郎がその気にならない以上(帰る気にならない以上)春子がどの様に云つても聞く訳がなく、女の側に対して交渉すれば前の乙田秋子(春子供述八六項)の場合の如く怪我をする等の紛争となるのであり、この様な体験をもつ上告人春子が、本件の時働きかけをしなかつたことを以つて婚姻解消の合意があつたとか、両者の関係が固定化していた、とは云い難いのである。春子に以上の様な体験がなく放置していたものならばともかく、以上の様な体験があつたことを考えれば、夫の行動を「目が覚める迄まつのもやむをえない」、と考えたのは当然であり之を以つて、直ちに「婚姻関係を維持していこうとする意思が当初からなかつた」(三七丁表)とは云い難いのである。(暴君の夫を持つた女性ならば、あるいは横暴な父を持つた子供ならば、容易にこの間の状況は知りうるところである。)

2 一審判決は、Aが三七・八年頃春子に同居を助言した際、之に応じなかつた(三四丁表)ことを以つて婚姻継続の意思がない証拠(三七丁表)というが、当時太郎に家にもどる意思がない以上、あまり意味のある話ではなく、太郎がその気になればいつでも任意な時に家に帰つてくるという今迄のやり方や、春子としても当時子供らの世話になつていたこともあり気がねもあり即答しなかつた迄であり、之をもつて婚姻継続の意思のなかつた証拠とは云い難いのである。

3 更に一審判決は春子、太郎に性生活のないことを極めて重視しているかの如くである。確かに夫婦の間において性生活の重要なことは理解しうるが、そのよつて来たつた理由を見ずして結論のみで事を決するのは妥当ではない。

上告人春子が性生活を拒否したのは、夫甲野太郎が放らつな生活にあけくれ(このことは甲野太郎の親族もよく承知しているところである)、その結果上告人も性病に冒され、何回か治療し一旦治つても太郎が遊興を止めない為再び病気に冒されるという状態であり、しかも太郎は春子との性生活において衛生器具をつかうのをいやがり、その為の発病であり、昭和二六年の再発の時は医師より、極めて悪性のものであり今度感染させられると治療の方法がない、とまで云われ、自殺を企てたが幸い発見が早く命をとり止めたこともあり、その後危険な治療(注射後一四時間も意識を失うというが如き治療)を受けて、ようやく性病から解放されたものであり、従つて上告人が再び羅患する事を恐れ、性生活を拒否したのもむしろ当然というべく、(春子が何回も再発していることからしても太郎が器具を好まなかつたことは充分推認出来るところである。)

之を上告人春子一人の責任であるが如き認定は経験則上正しいとは云い難い。

しかも甲野太郎はかねてより異状な程の女好きであり、その為何回も家をすて芸者置屋に居住したりする程、女ごのみであり、その為春子との性生活がなかつたとしてもそれは太郎自身の責任であり、上告人の責任ではないのである。従つてかかる放らつな性格、性行の甲野太郎が妻子をすて家をあけていたことを以つて、夫婦関係の実体が失われ形骸化していたということは出来ないのである。

もし一審判決のいう通りならば、自分の悪行をタナに上げて、遊び歩き妾を囲う男性を結果的に擁護することになるのではなかろうか。子供達のことも省りみず、子供らの教育は妻にまかせ、その為身を粉にして働いて来た妻の立場が余りにも不愍ではあるまいか。再度の御考慮を願う次第である。

尚太郎が家を飛び出し丙川の許に去つたのは昭和三一年一一月のことであり当時甲野太郎は満五四才であり、性生活が夫婦生活の中心的要素とは云い難い年令に達していることも併せ御考慮賜り度いところである。

4 尚一審判決は「配偶者とは、相協力して社会通念上、夫婦としての共同生活を現実に営んでいたものと解するのが相当」(三五丁表)というが、外形上夫婦の形があつたからといつて之を直ちに是認しうるものではないのである。例えば前記民法第七三四条等の内縁関係は仮令外形的に夫婦の実質をもつていても之を容認できない如く、そこに法の理念からみた制約が当然存在するのである。妾関係にあり、それが外見上夫婦らしくみえたとしても、法律上の妻がいる以上、之を知つて内縁に入つた者は法律上の不利益を覚悟していたものというべく、之を殊更保護する必要はないのである。

六、以上記述の通り甲野太郎・春子間に婚姻を解消する合意があり、それに基いて婚姻は既に形骸化し固定していたとする一・二審判決は明らかに誤りであり、経験則及び採証法則違反、審理不尽は明白というべく、よつてその破棄を求める次第である。

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